2025年7月12日、ローズホテル横浜にて2年ぶりとなる「ナカノ株式会社キックオフミーティング2025」を開催しました。当社としては、年2回全社員が集う貴重な機会です。
恒例の全体研修。今年は『~脳科学で紐解く~組織を活用する方法』と題して、第176回YMSでもお話しいただいた、Social Healthcare Design 株式会社の亀ヶ谷正信さんをお招きしました。
1.違いを知る
当日までに全社員が回答した質問票をもとに、それぞれの性格特性がフィードバックされ、会場では特性の似た者同士でグループ分けがされていました。最初のワークは、このグループで「人生で最高の旅行を計画する」というものです。
同じテーマにもかかわらず、グループごとに受け止め方は大きく異なりました。全員で行く旅行を前提に話すグループもあれば、当たり前のように個別と考えるグループもあります。「計画」に重点を置き、段取りや手順に議論が集中するグループもありました。ここに正解や不正解はなく、ただ認知の仕方が違うだけです。そしてこの違いは、性格特性によってある程度の傾向が見られることがわかりました。
では、なぜ認知の仕方が人によって異なるのでしょうか。それは脳の仕組みに深く関係しています。
私たちの「ココロ(精神活動)」は、脳内で生じる「思考」、「感情」、「意識」が互いに影響し合うことで成り立っています。外からの情報(刺激)はまず脳の深層、進化的に古い部分で「意識のフィルター」にかけられます。この段階で重要でないと判断された情報は無意識に切り捨てられ、意識には上がってきません。
さらにこの「意識」は非常に狭い範囲にスポットライトを当てる性質があり、意識が向けられていない部分は脳が自動的に補正してしまいます。この現象は視覚だけでなく、聴覚など他の感覚にも及びます。
そして、意識のスポットライトが当たった情報だけが次の段階に進みます。ここで、比較的古い脳の部位である扁桃体が「感情」を生じさせ、さらに進化的に新しい前頭前野で「思考」が形成されるのです。つまり、最初にどこに意識を向けるかが、その後の感情や思考のあり方を大きく左右しているのです。
2.思考のメカニズム
人間は一瞬のうちに一つの認知しかできません。たとえテレビを見ながら爪を切っていても、その瞬間ごとに意識は「テレビ」か「爪」のどちらかにしか向いていません。このように膨大な情報を処理し続ける脳にとって、一度固定された認知を変えることは大きな負担となり、非常に「疲れる」作業なのです。そのため脳は、最初に認知したものを無意識に「正しい」と思い込み、認知を変えることを避けようとします。これが、思考の柔軟性を阻む大きな要因です。
認知と思考の関係は次のように整理できます。
① 事実 – 誰が見ても同じ客観的な出来事
例:「昨日の夜8時にLINEを送ったが、翌朝になっても既読がついていない」
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② 意味づけ(認知) – 事実に対する自分の解釈。人によって異なる
例:「無視されているのかも」、「忙しいだけかも」、「通知が届いていないのかも」
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③ 根拠 – 意味づけを支える理由や証拠
例:「いつもはすぐ既読になる」、「前にも返信が遅かった」、「SNSは更新されている」
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④ 意見 – 感情や行動の方向性
例:「嫌われたんだ」、「もう送らない方がいい」、「電話で確認しよう」
この流れから分かるように、最初の「意味づけ」が変われば、その後の根拠の集め方や意見・行動も全く変わります。意味づけが誤っていれば、どれだけ合理的に考えても合理的に間違えてしまうのです。
だからこそ重要なのは、自分がどのように意味づけをしているのかを内省し、その思考の癖に気づくことです。認知の仕方次第で、私たちの感情も行動も変えられるからです。
3.共通点を論じる(「キズナ」の重要性)
前述のように「ココロ」では、外部の出来事に対してまず無意識に一次感情(情動)が生じ、それが思考に影響を与え、さらにその思考から二次感情が生まれます。一次感情は本能的で自動的な反応ですが、二次感情は一次感情に対する認知(解釈や意味づけ)によって形成されるため、意識的に変えることができます。
例えば、電車内で誰かに足を踏まれたとき、誰もが瞬間的にムッとするでしょう(一次感情)。しかし一方は「電車が揺れたから仕方ない」と解釈し気持ちを鎮め、もう一方は「わざとやったに違いない」と解釈し怒りを爆発させるかもしれません。この違いは、一次感情に対してどのような意味づけをしたかによって生まれる二次感情の差です。
そして「キズナ」を考えるとき、ここに重要な仕組みがあります。それが、人間には相手の感情を模倣し、あたかも自分の感情であるかのように錯覚する「ミラーニューロン」の存在です。言い換えれば、私たちは他者の感情や存在から大きな影響を受けており、それを無視して幸せになることはできません。人は孤独では幸せでいられないのです。
幸せ(ウェルビーイング)とは、「カラダ」「ココロ」「キズナ」が調和し健康である状態と定義されます。個人が本当の意味で幸せになるためには、自分自身の心と体のケアだけでなく、他者との繋がりを健全に保つことが欠かせないのです。
4.協力することの意味
ところで、人はなぜ組織を作るのでしょうか。端的に言えば、「一人では成し得ないことを可能にするため」です。組織で目標を達成するには、メンバー同士の協力が不可欠です。この協力関係の重要性を体感するため、『先生ばかりが住むマンション』というワークを行いました。これは、参加者がそれぞれ異なる情報を持ち寄り、12人の先生がマンションのどの部屋に住んでいるのかを推理するゲームです。進め方には性格特性の違いが反映されやすく、個人的には、異なる特性を持つ人々がチームを組むことで、それぞれの持ち味を活かす協力のあり方を模索できるのではないかとも思いました。
協力を成立させるには、ただタスクを分担するだけでは足りません。メンバー間に「キズナ」がなければならないのです。亀ヶ谷さんはこのキズナを、冬山登山におけるザイル(命綱)に例えていました。ザイルは、登山そのものの進行には直接関わりませんが、互いを結び合い、時に助け、時に助けられるために不可欠な存在です。山を登るだけなら邪魔に感じるかもしれませんが、無ければ不安で前に進めない。それが組織におけるキズナの本質なのです。当社が掲げる「他利自得」とは、単なる利害関係やギブアンドテイクを超えた、このような深いキズナを指しているのかもしれません。
さらに、このキズナには段階があります。近親者(1次)、友人・知人(2次)、社会(3次)と広がる多層的なつながりは、どれも欠けてはならないものです。言い換えれば、太極図の陰陽のように「他者の中に自分があり、自分の中に他者がある」——そんな混然一体とした存在がキズナだと言えるでしょう。
そして私たちが日々取り組んでいる仕事とは、組織人としてこのキズナの中で自己を磨き、成長するための機会です。職場は自己成長のための「道場」であり、ここでの経験が自分の可能性を広げていきます。可能性が拡大すれば、初めは「お金を払って何かをしてもらう」立場でも、「お金をもらい人に何かをしてあげられる」立場へと変わっていくのです。仕事とは、まさにそのための挑戦の場だと言えます。
5.まとめ
私たちは、外部の出来事そのものよりも、それをどう意味づけるかによって思考や感情が大きく左右されます。だからこそ、意識のスポットライトをどこに向けるのかを主体的に選び、自分の認知のパターンに気づくことが重要です。過去の自分との比較は成長の糧になりますが、他者との比較はしばしば不必要な苦しみを生み出します。比べるべきは「昨日の自分」であり、「他人」ではありません。
そして職場は、自己成長と他者貢献を両立させるための道場です。これらは車の両輪のように、一方だけでは前に進むことはできません。自己を磨くことで可能性を広げ、その力を他者や社会に還元していく。そこにこそ、組織に属すること、そして働くことの本質的な意味があるということです。
<つづく>
繻るに衣袽あり、ぼろ屋の窪田でした👘