特にウエスは第一回でお話したように昭和10年ごろには日本の主要輸出商品にまで成長し一大産業として活況を呈しました。話しはそれますが、ちょうどこの頃ナカノ株式会社の創業者である中野静夫も上記の三本柱に原料としてのぼろを供給する故繊維問屋としてその前身となる中野商店を興しました。昭和9年のことです。しかし陽気満つれば陰に入るというように、やっと第一次世界大戦後の不況をのりこえた昭和12年に日中戦争が始まり、だんだん時局が厳しくなるにつれ資源を扱う故繊維業界は必然的に軍事体制の一翼として組み入れられていきました。その前に次回はこの昭和初期から終戦までをもう少し詳しくお話したいと思います。
繻るに衣袽あり、ぼろ屋の窪田でした
よろしければクリックおねがいします!
↓