加えて日本人には当時から風呂に入るという習慣が一般庶民の間にも浸透していました。現在のわたしたちの感覚からいえばいかにも当たり前のようなのですが、当時の欧米諸国はまだ風呂に頻繁に入るという習慣がありませんでした。実際、アメリカの大統領が住むホワイトハウスでさえ初めてバスタブが設置されたのは1853年、つまりペリーが江戸湾に現れた年のことだったのです。ですから先ほどと同じく幕末に日本を訪れた欧米人は一様に頻繁に入浴するという日本人の習慣に驚いています(尤も彼らは日本人に皮膚病や卒中で死ぬ者が多いのはこの入浴という習慣が原因である、というように否定的に捉えていたようです)。話がそれてしまいましたが、当時の日本は一般庶民に綿布が普及していたばかりでなく、入浴の習慣により洗い晒しの綿布が豊富に存在するというまさに良質のウエス原料を産出する土壌があったのです。
先進工業国である欧米諸国が大量に消費する拭き物に最適な綿布に着目したのは当然の成り行きといえました。ウエスは欧米向けの輸出商品として一大産業となり、昭和10年の統計では日本の主要輸出品目第10位に位置するほどまでに成長したのでした。ウエスの輸出はその後、戦後の混乱期を除き高度成長期まで盛んに続きましたが、日本がコスト高の国になったこと、また昭和40年代以降輸出先であった欧米でも日本の技術を真似てウエスを製造するようになったことなどから今ではほとんど行なわれなくなりました。
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